『図説古代オリエント事典』が面白い
写真は…
「粘土で作られた封筒」!
大英博物館所蔵だけど、残念ながら大きさは分からない。
『事典』279頁には…
「粘土板に書かれた手紙は粘土の封筒に入れられ、受取人はそれを壊して開封した。この珍しく残った封筒には、受取人の名と送り主の印影が見られる。古バビロニア時代、前1700年頃」と、ある。
シュメールで絵文字を元に楔形文字が生まれたのが、前2500年頃。
葦のペンで粘土に刻み込むから、粘土板が「紙」だった。
それにしても…
3000年以上も前のモノが、よくも壊れずに残っていたもんだ。
●メソポタミアの古代都市の「大きさ」?
『図説』だけあって地図も載っている。(499頁)
メソポタミアは、次のように区分けされる。
メソポタミア┬北部─「アッシリア」(バグダッドより北の地域)
│
└南部─「バビロニア」┬北部─「アッカド」
│
└南部─「シュメール」
ちなみに「バグダッド」は、ティグリス川とユーフラテス川が近づいたところ。
上の地図でいえば、バビロンの北東にある。
シュメールは、メソポタミア文明が興った地。
ウルやウルクといった都市国家が生まれた。
『事典』によれば…
ウルクは、シュメール最古の都市の中で最大の規模。
神殿・宮殿・運河・道路を整備、
前2700年頃には、人口が4~5万人。
城壁で囲まれた面積は、
なんと「400ha」もある。
東京ディズニーリゾートが、
「2つ入る大きさ」じゃないか!
●アッシリア王国の宦官兵
去勢された官吏である宦官(かんがん)は、
中国史で有名な存在だ。
(去勢について具体的に知りたい方には、佐原真『騎馬民族は来なかった』がおすすめ)
『事典』によれば…
・アッシリアの軍隊と行政において、宦官は高級司令官。
・前9~8世紀にはアッシリアの上級官僚の10%以上は宦官だった。
・宦官の出自は不明であるが、アッシリアにおいて彼らは貴族の家系出身でもあったということは確からしい。
これらの家庭では男の子を去勢して、彼を前途有望な宮廷官僚として送り出したのであろう。
●執筆者の考えが「滲み出る」?
『事典』の正式名称は
『大英博物館版 図説古代オリエント事典』。
図版の多くは大英博物館所蔵だし、
言葉の定義も大英博物館で使われる用法に従っている。
とはいえ…
執筆者が考えが滲み出るというか、
「ほとばしる」ような箇所もあって興味深い。
例えば
「出エジプト」の項目では…
ヘブライ語の書物に適用された宗教史や文献批判などの研究は、
さまざまな仮説をもたらした。
なかには、出エジプトは存在せず、
全ては宗教的なフィクションと結論してきた仮説もある。
しかしどんなファラオも
彼の労働力の喪失を記念碑で誇らないであろうし、
そのような事件を記録したかもしれない
パピルスや皮、木製の書字板上の行政記録は、
デルタの湿度の高い土壌では
すぐに朽ち果ててしまったであろう。
同様に、野営する群衆がシナイの荒野やトランスヨルダンに
認識可能な遺物を残したということもありそうにない。
したがって証拠の不在は不在の証拠ではないのである!
…と、執筆者は「聖書考古学者」に手厳しい(^_^)