ゆうぞう⭐高校世界史を学び直す

佐藤優『読書の技法』を読み,「高校世界史」の“学び直し”を決意するが,神教科書の「難しさ」に心が折れそうに.そこで…図書館通いと歴史書の乱読を開始♪勉強を始めました🖍現在は「知識のアウトプット」を目指し「高校世界史の教科書を解説する」 YouTubeチャンネルを公開中です‼

肥沃な「三日月」地帯なのに

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●「三日月」じゃない?

上の図は…
多くの高校で使われる教科書‐『詳説世界史B』山川出版‐に載っている地図。
地図が載っている頁では「シリア・パレスチナ地方は、メソポタミアにかけて“肥沃な三日月地帯”を形成」と説明する。

地図には“肥沃な三日月地帯”が赤色で示されるのだけれど…
“そこ”は、地中海沿岸からペルシア湾までの「帯状」であって「三日月地帯」とは違う。

でもね(^_^)

勉強ができる高校生は「ま、とりあえずスルーしておこう」と先へ進むし、
こだわる生徒が先生に聞いても「そうだね」でおしまいだろうなぁ。

 

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●やっぱり「三日月」だった!

「おぉー!三日月だぁ」

上の地図は、藤井純夫『麦とヒツジの考古学』(2001年)に載っている図版。
同書10頁には、こんな説明がある。

「平原部と山岳部の中間に広がる山麓・丘陵地帯(いわゆる「肥沃な三日月地帯」 fertile crescent)である。現在の野生ムギの分布も、この地域に集中している」


嬉しくなって『大英博物館版 図説古代オリエント事典』(2004年) を探すと、
簡潔な説明があった。

「肥沃な三日月地帯は、その西端を地中海南東部、その中心をアラビアの真北、その東端をペルシア湾の北端として、南側に開いたほぼ半円形をなす」


ピーター・ベルウッド『農耕起源の人類史』(2008年)の解説は、詳細だ。

「肥沃な三日月地帯は、ヨルダン渓谷から北へ、シリアを抜けて東南トルコにいたり、そこから東に折れ、イラク北部をかすめてさらに東南に走り、イラン西部のザクロス山脈まで達するちょうど三日月をふせたような形の土地をいう」

 

●なぜ「帯状」になったのだろう

なぜ教科書は
「三日月状」を「帯状」にしてしまったのだろう?

教科書では
「シリア・パレスチナ地方ではメソポタミアにかけて“肥沃な三日月地帯”を形成」と説明する。

この「メソポタミア」が問題だ。

なぜなら「メソポタミア」とは「ティグリス・ユーフラテス両河に挟まれた地域」のこと。
(教科書の地図ではメソポタミアを離れて、シリア砂漠まで「三日月地帯」にしているけど)

教科書の説明に沿って説明すれば
「地中海側のシリア・パレスチナ地方からメソポタミアより北東の地域にかけて“肥沃な三日月地帯”を形成」と書いてほしかった。

 

●「三日月」にこだわる理由

なぜ肥沃な「三日月」地帯に、こだわるのか。

藤井純夫『麦とヒツジの考古学』(2001年)に載っている図版を、
もう一度見てみる。

肥沃な三日月地帯をはずれて「東・南に行くほど降雨量が減少」とある。

肥沃な三日月地帯が「肥沃」なのは、
年間降水量200ミリ以上の比較的まとまった降雨にめぐまれ、手の込んだ灌漑をする必要のない天水農耕の可能な気象条件だからだ。

メソポタミア文明
メソポタミアの中でもより乾燥した「シュメール」で興った。
https://koukou-sekaishi.hatenablog.com/entry/2020/04/14/142805
→「メソポタミアの古代の地域名」

灌漑ができれば、
天水農耕と比べて単位面積あたりの収穫量が数倍から数十倍になる。

あえて「肥沃な三日月地帯」を出て、
より過酷な自然に挑戦する人がいた。

そういう人たちがいなけば
メソポタミア文明」はなかったのだ。