ゆうぞう⭐高校世界史を学び直す

佐藤優『読書の技法』を読み,「高校世界史」の“学び直し”を決意するが,神教科書の「難しさ」に心が折れそうに.そこで…図書館通いと歴史書の乱読を開始♪勉強を始めました🖍現在は「知識のアウトプット」を目指し「高校世界史の教科書を解説する」 YouTubeチャンネルを公開中です‼

古代メソポタミア「都市国家の実態」とは?

f:id:akanezora1234:20200905151020j:plain

この図は…
古代メソポタミア都市国家「ウル」の、最盛期の頃を想像して描かれている。
シュメール文明が最後に花開いた、前2000年頃の「ウル第3王国時代」だ。

ユーラテス川の川岸。
ウルの街は、上流に向かって突き出すように建設された。

先端近くの「ジッグラト(聖塔)」からは
ユーフラテス川を行き来する船が見えただろう。

画面右上
堤防のような壁が川を引き込んでいる。
ここが「北港
ユーフラテス川と西側で接する「西港」と、ウルには二つの港があった。

ユーフラテス川の向こうには、広大な耕地が広がっている。

城壁で囲まれた都市が、周辺の耕地と集落を支配している…。

古代メソポタミア(特に南部の「シュメール」)にあった
「都市」のイメージを、この図はよく表している。

東京ディズニーランドより一回り大きい

f:id:akanezora1234:20200905151244j:plain

前5千年紀(前5000~4001年)のウバイド期には
すでにウルには人が住んでいた。

最盛期のウル第3王国時代(前2000年頃)には、面積が60ha
推定人口は約3万人
(東京ディズニーランドのパークエリアが約51ha)

その後、新バビロニア時代を経て
前4世紀末まで居住があったと考えられている。

新バビロニア時代には、聖域(テメノス)の外に新しい宮殿が作られ、
南東部には、聖域に伸びる、新しい目抜き通り(メインストリート)が建設された。
それに伴い、旧市街地は取り壊されて新しい町並みと入れ替わった。

都市の建設は、「計画的」だった。

城壁の場所が決定したら、まず、神殿や宮殿のある「聖域」が作られる。
どの都市も、川の流れに沿って上流部に「聖域」がある。

次に、「目抜き通り(メインストリート)」が建設される。
そして、そこを起点に街路(幹線道路)と排水施設が作られる。

まず、道路と排水施設が建設されたのだ

●重要なのは「排水施設」

f:id:akanezora1234:20200905151503j:plain

この図は「ハブーバ・カビーラ南」という
ウル以前の別の都市の復元図だ。

建物が作られる前に、まず溝と配水管が設置された。
し尿など生活排水を処理するためだ。

ウルでも、道路が建設されると
建物が作られる前に排水網が網の目のように設置された。

●「居住域」と「生産域」

f:id:akanezora1234:20200905151628j:plain

「目抜き通り(メインストリート)」が建設されると
それを起点に街路(幹線道路)と排水施設が作られる。

「居住域」は…
街路で分割されたエリア(街区)ごとに、職能集団別に分かれていて、「生産域」の臭いや煙の影響の少ない場所に設定された。
(「魚町」「大工町」などに分かれていた、江戸時代の城下町を連想させる)

工房(工場)がある「生産域」は…
港の近くなど、原料の搬入や製品の搬出に便利な場所に設定された。

●「生産域」で製造されたモノ

f:id:akanezora1234:20200905151824j:plain

ウルは、メソポタミアの最南部「シュメール」にある。
灌漑農業と牧畜により、穀物と羊毛は入手できた。

しかし…
瀝青(れきせい)という「天然アスファルト」以外の資源は全くない。

上の写真は、ウルの王墓から20世紀初めに発見された「牡山羊の象」だ。
木材を軸にして金銀箔や銅が貼られ、
ラピスラズリなど貴石をふんだんに使って装飾されている。

このような装飾品が、ウルで制作されたということは
以下のようなことが想定される…

・技術と才能のある人がいた
・職人が腕をふるう工房があった
・素材(木材・金属・貴石)を取り寄せる物流網があった
・高価な素材を取り寄せる経済力があった
・素材を加工する技術と工房があった
・製品を販売する販売網があった

●物流網は「組織的に機能していた」!!

f:id:akanezora1234:20200905151954j:plain

遠隔地から素材を搬入して製品を製造するためには
原料の確保から製造・流通に至る複雑な過程がある。

現代と違って「企業」が存在しない古代社会のこと。
製造・流通は、都市の行政を担当する主体が仕切っていた。
(どこから、どんなもを、どれくらい確保するか、誰に、どんなモノを、どれくらい作らせるか)


都市の行政を担当する主体は…
「世俗的な支配者」と
「支配者を支える専門家(書記)」たちで構成された。

物流網が「組織的に機能していた」ということは
「彼ら」が行政だけでなく経済活動も仕切っていたということだ。


「世俗的な支配者」の住居が宮殿であるが
「宮殿」は行政や経済活動を仕切る「役所」でもあった。

支配者を支える専門家(書記)の仕事は、あらゆる場面に及んだ。

・農耕地を測量して灌漑施設の設置や修繕を計画する
・灌漑施設維持・建設のため労働者を配置する
・収穫物の保管と管理
・農耕具の管理(修繕や製作の発注)
・各工房・物流部門ごとに専門化して、原料の仕入れや製品の納入などの記録


「世俗的な支配者」と「支配者を支える専門家(書記)」たちが…

行政だけでなく経済活動も仕切っていたということは
神官の持つ権威以外は
「権力を掌握していたこと」を意味する。


「世俗的な支配者」は神官と連携、また自らが神官となり
「神の代理」として都市に君臨した。

「世俗的な支配者」は「国王」となり、都市は「都市国家」となった。

●都市は巨大な村ではない!

f:id:akanezora1234:20200905151020j:plain

再び…
「上空から見たウル市街とジッグラト」の想像図を見てみよう。

ユーフラテス川の向こうには、広大な耕地が広がっている。

ウルに従属する集落の農民は
余剰作物をウルの神殿に運んだ。
神殿は倉庫であり、緊急時の避難場所でもあった

ウルの都市民は、従属する集落の農民に「食べさせてもらっている」ともいえる。

なぜなら、都市に住む人(都市民)とは…
神官・書記・職人・兵士など一次産業(農業など)に従事しない人たちだからだ。


なぜメソポタミアに村とは違う
「都市」が誕生したのか?

この問いを考えるには、メソポタミアの灌漑システムを見直す必要がある。

メソポタミアの灌漑システム

f:id:akanezora1234:20200905152506j:plain

メソポタミアとは、ティグリス・ユーフラテス川の流域とその周辺部のこと。
しかし、南メソポタミア(バビロニア)の都市はティグリス川ではなくユーフラテス川の流域で生まれた。
ティグリス川は流れが速く、灌漑に不向きだったからだ。

とはいえユーフラテス川も氾濫を起こし、
周囲より高い部分(自然堤防)をつくった。

ふだんのユーフラテス川は
過去の氾濫で出来た自然堤防の間を流れた。

つまり、周辺の土地より高い所を流れる「天井川
氾濫したときの被害も大きかった。

f:id:akanezora1234:20200905152649j:plain

上の図は、メソポタミアの灌漑システムの模式図だ。

春の増水期に溢流は、ため池(F)や用水路に貯めておかれた。
水は泥土を沈殿させ、播種を行う秋に耕地へ導かれた。

導水も水が入りすぎないように、しかも耕地全体に水が行き渡るよう気が配られた。

メソポタミアの灌漑システムは、河床のわずかな高低差を利用して溢流を管理する高度な仕組みだったのである。
それには、多くの集落がまとまって行動することが求められた。


さらに、ため池や灌漑用水路の浚渫(しゅんせつ)は人手がかかる重労働だったが、必須のメンテナンスだった。
しかも、メンテナンスにも限界があるから、新しく作り直す必要もあった。


集落は水場に近い微高地が居住適地として選ばれ
同じ支川流域では集落同士が協力して人手を出した。

水管理に成功してより多くの収穫をあげた集落は
余剰食糧も豊富となり、周辺の遊牧民を雇うこともできた。

そんな「豊かな集落」は周辺の祭祀の中心となり、
原始的な神殿も生まれた。
人・モノ・情報の集積とともに、都市的な性格も濃厚になった


こうして「一般集落」と「都市的集落」という
区別が生じた。


ウルのような都市国家にまで成長した都市であっても、
「一般集落」や「都市的集落」という段階があった。


ただし…
全ての都市は村だったが、全ての村が都市になるわけではない。


都市と村には「進化」と呼べるほどの違いがある。
都市は、様々な条件がかみ合った都市的集落が「進化」した希有な例だ。


●教科書はどう説明しているか?

f:id:akanezora1234:20200527114555j:plain

①灌漑農業の発達したメソポタミア南部では、前3500年頃から、神殿を中心に多くの大村落が成立した。
②前3000年頃には、神官・戦士・職人・商人などの数が増え、大村落はやがて都市へと発展していった。
③各都市はそれぞれ独立の道を歩み、前2700年頃までにウル・ウルクなどシュメール人都市国家が数多く形成された。
都市国家では、王を中心に神官・役人・戦士などが都市の神をまつり、政治や経済・軍事の実権を握って人々を支配する階級社会が成立した。
アッカド人は、メソポタミアやシリアの都市国家を最初に統一して広大な領域国家をつくった。

山川出版社『詳説世界史B』18ページからの抜粋を並べてみた。
順番にみていこう。

 

①灌漑農業の発達したメソポタミア南部では、前3500年頃から、神殿を中心に多くの大村落が成立した

ユーフラテス川水系の同じ支川流域では、集落同士が協力して灌漑施設の建設・維持に取り組んだ。

なかでも
水管理に成功してより多くの収穫をあげた集落は…

余剰食糧も豊富となり、周辺の遊牧民を雇うこともできたし
周辺集落の中心として神殿をもち、祭祀を仕切った。

教科書のいう「大村落」とは
「周辺集落の中心となった“神殿”がある拠点集落」だ。

 

②前3000年頃には、神官・戦士・職人・商人などの数が増え、大村落はやがて都市へと発展していった

都市は、巨大な村落ではない。

なぜなら、都市に住む人(都市民)とは…
神官・書記・職人・戦士・商人など
一次産業(農業など)に従事しない人たちだからだ。

大村落が都市へと「発展」するということは
大村落が都市へと「変身」したことを意味する。

農民は都市からはじかれ、
都市を支える存在として
「支配される人」に転換させられたのだ。

 

③各都市はそれぞれ独立の道を歩み、前2700年頃までにウル・ウルクなどシュメール人都市国家が数多く形成された

前2500年頃のバビロニアでは、シッパル、キシュ、ニップルウルク、ウル、ウンマなど20以上の都市国家があった。
③でいう「それぞれ独立の道を歩み」とは、「都市どうしが競合・対立して戦争状態になること」だ。

当然、各都市とも軍事組織を拡充。戦争が「都市国家の形成・成熟を促した」のである

 

都市国家では、王を中心に神官・役人・戦士などが都市の神をまつり、政治や経済・軍事の実権を握って人々を支配する階級社会が成立した

④の文章は、以下のように読み替えた方が内容が明確になる。

都市国家では王を中心に、神官が都市の神をまつり、役人(書記)が政治や経済の、戦士が軍事の実権をにぎり、都市民や周辺村落の農民を支配する階級社会が成立した。

 

「都市」が生まれた後に、「都市国家」は生まれる(都市が都市国家と呼んでもよい状態になる)
しかし、何を指標に「都市」ではなく「都市国家」と呼ぶのかは、議論があるところだ。

僕は…

「王」と「王を支える専門家(役人)」集団が、
政治だけでなく経済活動も仕切るようになった段階が
都市国家と呼んでもよい状態」だと思う。

「仕切る」ということは「支配‐被支配」という関係の固定だから、
この段階で「階級社会」も成立した。

 

アッカド人は、メソポタミアやシリアの都市国家を最初に統一して広大な領域国家をつくった。

前2334年、アッカド人のサルゴン王はアッカド王国を建国。
(王都アッカドの場所は、未だ確認されていない)

サルゴン王は、メソポタミア都市国家を征服して、各都市にアッカド人を長官とする守備隊を置いたのだ。
(これにより、メソポタミアの都市間抗争は終了)

サルゴン王は、王都アッカドを頂点として、諸都市を間接統治した。

これが…
都市国家を統一してつくった広大な領域国家」の実態だ。

 

●参考文献


・小泉龍人『都市の起源』(2016年)講談社
・松本健『NHKスペシャル四大文明メソポタミア』(2000年)NHK出版
前川和也『図説メソポタミア文明』(2011年)河出書房新社
・中田一郎『メソポタミア文明入門』(2007年)岩波書店
・ジェームズ・C・スコット/立木優(訳)『反穀物の人類史』(2019年)みすず書房