ゆうぞう⭐高校世界史を学び直す

佐藤優『読書の技法』を読み,「高校世界史」の“学び直し”を決意するが,神教科書の「難しさ」に心が折れそうに.そこで…図書館通いと歴史書の乱読を開始♪勉強を始めました🖍現在は「知識のアウトプット」を目指し「高校世界史の教科書を解説する」 YouTubeチャンネルを公開中です‼

語族・語派でまとめる古代オリエント史

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世界史の教科書を読んでいると
「○○人」という言葉がたくさん出てくる。
特に古代オリエント史に多い。

山川出版『詳説世界史B』
第1章「オリエントと地中海世界」に登場する
「○○人」は全部で17もある!!

シュメール人
アッカド
アムル人
ヒッタイト
カッシート人
ヒクソス
カナーン
海の民
アラム人
フェニキア
ヘブライ
イラン人(ペルシア人)
アム川上流のギリシア人(バクトリア人)
遊牧イラン人(パルティア人)
農業に基礎を置くイラン人
エフタル
突厥(とっけつ)

ヒクソスや海の民、そしてエフタルや突厥
「○○人」と呼ばないけど

「ヒクソス」人
「海の民」人
「エフタル」人
突厥」人

…と呼んでも
内容の理解に問題はないからね。

これら17個の用語
全てに当てはまる
わけではないけど

「○○人」というときは…

「シュメール語」を話していた集団が
シュメール人」というように
“言語”によって人間集団を分けている場合が多い。

第1章「オリエントと地中海世界」に登場する
「○○人」を“言語”によって分類する!!

これが、今日のテーマだ。

●語系?語族?語派?

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同じ“言語”を話す人間集団
「○○人」ではなく「○○語系
ということがある。

上の表は山川出版『詳説世界史B』から転載した
「世界の諸言語の系統分類表」だ。

「語族」「語派」
同じ言語を共通の起源に持つ「言語のグループ」

なんだけど…

歴史学の本では「語族」「語派」を
「言語のグループ」ではなく
同じ言語を話す「人間のグループ」
の意味で使う場合が多い。

●「世界の諸言語の系統分類表」で第1章を分類する

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第1章「オリエントと地中海世界
に登場する「○○人」が
話していた言語の多くは

「世界の諸言語の系統分類表」でいえば

インド・ヨーロッパ語族
アフロ・アジア語族
セム語派」エジプト語派」だ。

例外は
シュメール語とカッシート語。
この2つの言語の帰属はわからない。

だから

シュメール語やカッシート語を
話していた人たちの起源も
わからない。

教科書も両者について
「民族系統不明」
としている。

●ほとんどは「セム語系」の人々

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上の画像は
古代オリエント諸国の興亡を
まとめたもの。

エジプトは
王国としての「繁栄期」を
古王国・中王国・新王国と呼ぶ。

いずれも
エジプト語系のエジプト人が支配者だ。

メソポタミア
ほとんどセム語系の人々が支配者となってきた。

初期王朝期とウル第3王国時代に支配者となったシュメール人
カッシート王国を開いたカッシート人は
民族系統が不明。

それ以外は…

アッカド
イシン・ラルサ・バビロンの支配者となったアムル人
そしてアッシリア人
全てセム語系の人々だ。

違うのは
ヒッタイトミタンニ人

教科書は
「インド・ヨーロッパ語系のヒッタイト人は」
と明記しながら
ミタンニ人については触れていないが…

ミタンニ王国の支配者は
「マリヤンヌ」と呼ばれる
インド・ヨーロッパ語系の人々。

ミタンニ王国の歴史は
インド・ヨーロッパ語系の人々を
支配者にして始まった。

前二千年紀(前2000~1001年)後半

メソポタミアから東地中海岸
そして小アジアにかけての地域の支配者は
「インド・ヨーロッパ語系」の人々だった。

しかし
教科書だけを読んでいると

古代オリエントの歴史に
いきなり
「インド・ヨーロッパ」語系の人々が登場するわけで

戸惑わずにはいられない。

●「インド・ヨーロッパ語系」の大移動とは?

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まず上の地図を見て欲しい。

濃いピンクで塗られているのは
黒海カスピ海の北側に広がる草原地帯”だ。

“そこ”から矢印が
ヨーロッパ・小アジア・インド
さらには中国西部にまで広がっている。

この地図は…

“そこ”に同じ言語を話していた
「インド・ヨーロッパ語系」の人々がいて
“そこ”から分かれて世界中に広がっていった。

…ということを、表した地図なのだ!

インド・ヨーロッパ語系の人々は
前三千年紀(前3000~2001年)には
“そこ”で牧畜生活をしていた。

彼らは
インド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)
という同じ言葉を話していた。

しかし…

インド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)
の実態は解明されていない。

わかっていることは…

同じ言葉を話していた集団が
「ヨーロッパに向かった集団」と
「ヨーロッパには行かなかった集団」
に分かれたことだ。

 ●「インド・ヨーロッパ語系」の大移動を解説

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① 前3千年紀末から前2千年紀の初め

黒海カスピ海の北側に広がる草原地帯」から
移動して東西に分かれた集団があった。

東に向かった
「インド・ヨーロッパ語系」の人々は
タリム盆地の北辺に定着。
トカラ語を話すトカラ人となった。


西に向かった
「インド・ヨーロッパ語系」の人々は

小アジア(アナトリア)に定着。
ヒッタイトの話者となった。

またペロポネソス半島に定着した人々は
ギリシアを話すアカイア人となった。
(前1400年頃にアカイア人クレタ島に侵攻。
クレタ文明を滅ぼしている。)

② 前2千年紀中頃(前17~15世紀)

後にゲルマン語系やイタリック語系となる人々も
黒海カスピ海の北側に広がる草原地帯」から
ヨーロッパに移動した。

「インド・ヨーロッパ語系」の人々が
ヨーロッパに向かった集団とそれ以外の集団に
決定的に分かれたのだ。

「それ以外の集団」が
「インド・イラン語系」であり
彼らをアーリア人という。

アーリア人
「インド系アーリア人
イラン系アーリア人に分かれた。

インド亜大陸に進出して定住した人々が
「インド系アーリア人」であり

それ以外のアーリア人
イラン系アーリア人」だ。

③ 前1千年紀の初め(前9世紀頃)

イラン系アーリア人によって
騎馬による遊牧という「生活形態」
が初めて考え出された。

「騎馬遊牧民の誕生だ。

この生活形態を受け入れるか否かによって
イラン系アーリア人
遊牧民」と「定住民」に分かれることになった。

(モンゴル高原匈奴が、サカ人の影響を受けて
騎馬遊牧民になったのは前5世紀頃だ)

この頃には

後にケルト語系・スラヴ語系・バルト語系と呼ばれるようになった
「インド・ヨーロッパ語系」の人々もヨーロッパに移動している。

●「イラン系アーリア人」と古代オリエント

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イラン系アーリア人は…

馬と二輪戦車(チャリオット)の活用が始まった
前1500年頃から
古代オリエントを政治的・文化的に主導する人々だった。

彼らの活躍は…

西アジアでは
イスラーム化が進行する7世紀まで。

中央アジアでは
テュルク化が進む10世紀まで続いた。

言い換えると…

前612年のアッシリア帝国滅亡後の
メディア王国の西アジア支配から
アケメネス朝ペルシア
パルティア王国
ササン朝ペルシアに至る1200年間は

イラン系アーリア人」が古代オリエントの政治的覇権を握った時代だったのである。

●参考文献

・青木 健『アーリア人講談社(2009年)

・ディヴィット・W・アンソニー/東郷えりか(訳)
『馬・車輪・言語』筑摩書房(原著2007年)

・クリストファー・ベックウィズ/斉藤純男(訳)
『ユーラシア帝国の興亡』筑摩書房(原著2009年)

・小川英雄『古代オリエントの歴史』慶応大学出版会(2011年)