共和政ローマでの「投票の仕組み」
古代ギリシアと共和政ローマの「投票の仕組み」が書かれていた。
ギリシアが一人一票なのに対して、ローマは「百人隊」という組織ごとに投票する。
いわば「小選挙区制」ということらしい。
どれだけ立候補者があろうと、当選するのは各選挙区で一名。
これが「小選挙区制」。
どうして「組織ごとに投票すること」が「小選挙区制」になるのか。
わからなかった…。
共和政ローマの「投票の仕組み」については
長谷川岳男『背景からスッキリわかるローマ史集中講義』がおすすめだ。
ギリシアでもローマでも…
「民会」は、全市民が対象とする「市民集会」だ。
この人たちがすべて集まることはないから、議決に必要な定足数は6千といわれている。
しかしローマは最大の時期で人口が100万人。市民数もギリシアの比ではない。
「一人一票」の投票は不可能だ。
そこで…
「一人一票」ではなく「それぞれの所属集団が一票をもつ」仕組みを採用した。
しかも人は複数の集団に所属するから、「どの所属集団が票を持つか」によって三種類の民会があった。
(クリア民会は後に形骸化するから実質の民会は2つ)
・クリア民会
・ケントゥリア民会
・トリブス民会(平民会)
共和政ローマでは、全市民に兵役の義務があった。ローマ軍=全市民軍なわけだ。
ケントゥリアはローマ軍の部隊名で、全部で193。
全市民は「財力」によって所属するケントゥリアが決まっていた。
・完全装備に馬を持参する「騎士のケントゥリア」が18部隊
・完全装備の「重装歩兵」となる「第一クラシス」が80部隊
投票は上位のケントゥリアから行われ、過半数が判明した時点で打ち切られる。
ということは…
第一クラシスのケントゥリアが投票する時点で投票は終わっている。
財力がない「平民」には、投票の機会がなかったわけだ。
トリブス民会は平民だけが参加する民会。全市民参加ではないので「平民会」という。
全市民参加ではないけど、前287年「ホルテンシウス法」で平民会での決議が全ローマの決議となることになった。民会の中心は、ケントゥリア民会からトリブス民会に移行していった。
トリブス民会での投票単位「トリブス」とは、居住地区によって分けられた「選挙区」のこと。
ポイントは、選挙区の区割りだ。
市民の多くが低所得者の市内には4つのトリブスにまとめられ、それ以外のトリブスは重装歩兵の中核となった自営農民の居住区に当てられた。
トリブス民会であっても、ケントゥリア民会の「第一クラシス」に当たる市民の意思が重視されたわけだ。
共和政ローマでの「投票」は一人一票ではない。
「軍団の部隊」や「居住区」という「投票集団」が一票を持つ。
小選挙区制というよりは間接民主制のイメージが実態に近いと思う。